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粗末に扱うと祟られる。「将門の首塚」に現代も残る強烈な怨念

今回は平将門の首塚をご紹介します。

大手町の超近代的高層ビル群の中で新たに地上40階、高さ200mのビル工事が進行中ですが、その建設現場の一角にうっそうと木が繁る空間が食い込んで区画が凹型になっています。これさえなければ綺麗な地型になるのですから、超一等地になんでこんなものを残したのだろうと感じるような光景です。

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実はこれが「将門の首塚」と呼ばれる東京都指定旧跡の「将門塚」なのです。

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これまで御朱印を集めながら各地の神社やお寺を紹介してきましたが、その中で平将門の乱といわれる承平・天慶の乱に関連した寺社が幾つも登場し、将門がいささか気になる人物となっていました。当ブログでこれまでご紹介してきた中で将門に触れたものとしては「下谷神社」「武蔵一宮氷川神社」「成田山新勝寺」(乱の鎮定を祈願)「九重神社」(将門が砦を築いた)「神田明神」(将門を御祭神として祀る)とこれだけあります。

 

平将門は崇徳天皇、菅原道真と並び、非業の死を遂げた日本三大怨霊の一つとされています。

平安時代中期から歴史に登場する武士団のなかで、桓武平氏は清和源氏と並ぶ一大勢力でしたが、その中で将門は桓武天皇の五代後の子孫になります。下総国、常陸国に広がった平氏一族の抗争が、やがては関東諸国を巻き込む争いへと進んだのが承平・天慶の乱ですが、将門はその際に国府を襲撃して印鑰を奪い、京都の朱雀天皇に対抗して「新皇」を自称し、東国の独立を標榜したことによって遂には朝敵となりました。しかしその後わずか2か月たらずで藤原秀郷、平貞盛らにより討伐されてしまいます。

将門の首は平安京へ運ばれ、晒し首となりました。獄門が歴史上で確認される最も古く確実な例が、この将門です。

しかしその首は3日後に空高く舞い上がり、故郷に向けて飛んでいきます。その首が落ちたと言われる場所はいくつかありますが、最も有名な場所が今回ご紹介している大手町の将門塚です。

この地は神田明神が創建された場所なのですが、村人が恐れて塚を築いて首を埋葬したといわれます。

 

その後この周辺で天変地異が相次いだことから将門の祟りではないかと人々が畏れ、時宗の真教上人が将門に「蓮阿弥陀仏」の法名を贈って首塚の上に自らが揮毫した板碑を建立し、傍らの神田明神に将門の霊を祀ったところ、天変地異はようやく鎮まったといいます。

首塚の前に真教上人が揮毫した板碑が立てられています。

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首塚です。内部で蝋燭がともされていました。

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隣地のビル建設工事期間中、首塚は防護ケースで覆われています。

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徳川幕府の時代になり神田明神は移転してこの地は大名屋敷になります。しかし首塚はその中に残り、明治になって大蔵省の庁舎が建てられても敷地内に残りました。関東大震災で首塚は倒壊しましたが、その結果誕生したのが「首塚を粗末に扱うと祟る」という伝説です。

●2年間で関係者が14人死亡、最後は庁舎が全焼した大蔵省

大正12年、関東大震災で倒壊した庁舎の再建に乗り出した大蔵省は首塚をつぶしてその上に仮庁舎を建設したのですが、僅か2年の間に大蔵大臣を始めとする14人もの関係者が亡くなりました。その他にも怪我人・病人が続出したことから、大蔵省は仮庁舎を取り壊し、首塚を現在の形に再建せざるを得なくなります。

昭和15年、落雷による火災で大蔵省の庁舎が全焼した際も「首塚を粗末にしているから」という声が再び上がり、大蔵省は鎮魂祭を盛大に行って塚に「故蹟保存碑」を建立しました。

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●作業員が事故死したGHQ専用駐車場工事

昭和20年、空襲で焼失した大蔵省の跡地にGHQ用の駐車場を造成しようとした際、ブルドーザーがひっくり返り作業員が死亡する事故が起こりました。関係者がGHQに陳情に赴き、「昔の大酋長の墓」と説明してようやく工事の中止を了承させたといいます。

●行員が次々病気に、最後は銀行としても破綻した日本長期信用銀行

高度経済成長の時代になり大蔵省は首塚の部分だけ残して周囲の土地を売却し、首塚の参道にあたる場所には日本長期信用銀行が建てられました。すると今度は塚に面した部屋の行員が次々と病気になるという事態が生じます。神田明神の神官がお祓いをして騒ぎは収まりましたが、最終的には長銀そのものが破綻してしまいました。

 

その後周辺には次々とビルが建てられますが、「単なる迷信」と軽んじて工事に臨んだ現場では事故が続発します。

その結果、隣接するビルでは「塚を見下ろすことのないよう窓は設けていない」「塚に対して管理職などが尻を向けないように特殊な机の配置を行っている」といった伝説が発生しました。

ちなみにブレイク前の爆笑問題の太田光が番組企画で首塚にドロップキックをしたところ、その後しばらく全く仕事がなかったといいます。

現在隣地でビル工事を実施している三井不動産は「神聖で大切な場所と認識している」とコメントしました。首塚を覆う防護ケースもその表れでしょうか。普通の工事現場ではここまでの近隣対応はしません。

 

様々な経緯を経て将門の首塚は現在まで残り、「荒ぶる神は願い事も叶う」ということでお参りする人の数は多いようです。首塚の敷地内は清掃が行き届き、香華が絶えません。

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敷地内の石のベンチは願い事が叶った方から奉納されたものだそうです。

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塚の周囲には蛙の置物が数多く置かれていますが、これは将門の首が京都から飛んで帰ってきたことから「カエル」ということにかけたものです。

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左遷先から元の部署に「帰る」、行方不明になった子供が「帰る」といったことを願って奉納されました。 

 

賽銭箱に納められる浄財は年間で約80万円になるという事で、隣接する三菱東京UFJ銀行内に「平将門」名義の口座を開設して管理し(本人確認はどうするのだろう)、これによって清掃や整備を行っています。

 

現代のような科学万能の時代になっても、まだこのような摩訶不思議なものが残されているというのは実に興味深いものがあります。だからこそいつの時代になっても人々はお寺や神社にお参りすることを欠かさないのでしょう。

尚、将門の乱の際に乱の鎮定を祈願したのが成田山新勝寺です。ですから将門の荒ぶる魂に願い事をしようと思う人は成田山にお参りすることは避けた方が良さそうです。念のため。

 

◆将門の乱に際し、鎮定を祈願した寺や神社の記事

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 ◆かつて将門が砦を築いた場所に建つ九重神社 の記事

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 ◆朝敵の将門を「郷土の勇士」として祀る神田明神の記事

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