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〖藤沢〗白旗神社の御朱印と謎に包まれた義経の生涯

今回は藤沢の白旗神社の御朱印をご紹介します。源義経ゆかりの地として満福寺や高館義経堂をこれまでご紹介してきましたが、その義経を御祭神として祀っているのが白旗神社です。

交通の要所に位置する白旗神社

小田急江ノ島線に沿って南北に延びる国道467号線が藤沢バイパスと交差する場所に位置しており、白旗神社の存在は以前から知っていました。それが義経に関係する神社だったとは義経についていろいろ調べるようになった最近になって知ったことです。

国道467号線が藤沢バイパスと交差する交通の要所に位置する白旗神社

町田から車で江ノ島方面に向かう際は必ず通る場所になります。

白旗神社の由緒

白幡神社の創立年代については不明で、当初は寒川比古命を御祭神として祀り、寒川神社と称していました。

源義経が平泉で自害するとその首は鎌倉に送られ、弁慶の首と併せて腰越で首実検が行われました。実験終了後、二つの首は藤沢に送られて埋葬されますが、その際に義経も御祭神として合祀しました。

1752年の社殿再建時より白旗神社と称しています

尚、弁慶の首は常光寺の隣地にある八王子社に祀られたといいます。

白旗神社の御朱印

御朱印所

御朱印は神輿殿横の授与所でいただけます。

初穂料300円

御朱印

墨のかすれ具合が絶妙的な白旗神社の御朱印

墨のかすれ具合が絶妙的な御朱印です。

白旗神社の境内

大鳥居

白旗神社の軽量で耐久性のあるグラスファイバー製の大鳥居昭和59年に建立された大鳥居で、何とグラスファイバー製です。地震対策のため軽量で耐久性のあるグラスファイバーを採用したという事です。

相模湾沖を震源とする南関東地震は発生する確率は低いとされていますが、仮に発生した場合は藤沢で震度7、腰越で10.3mの津波が予想されており注意が必要です。

参道

白旗神社の本殿まで続く階段

本殿まで階段を上がります。

鎮霊碑

義経の兜を象った白旗神社の鎮魂碑義経の兜を象っています。

本殿

白旗神社の本殿

1835年に建てられました。

弁慶の力石

触ると健康になり病気をしない白旗神社の力石この石に触ると健康になり病気をしないといいますが、弁慶との直接的な関係はなさそうです。

神輿殿

二基の神輿を収蔵する白旗神社の神輿蔵昭和54年に建立された神輿殿です。中央に儀式殿があり、向かって右に義経、左に弁慶の二基の神輿を収蔵しています。

庚申塔

白旗神社の庚申塔と江ノ島弁財天道標

参道階段脇には20数基の庚申塔と江ノ島弁財天道標が置かれています。

謎の祠

白旗神社の謎の祠

庚申塔の奥にあるこちらについては、何を調べてもわかりませんでした。

謎に包まれた義経の生涯

資料に登場するのは9年間だけ

義経の生涯については誕生から最期まで物語として詳しく伝えられていますが、実は歴史上に登場するのは黄瀬川で頼朝と対面した時から自害するまでの9年間だけで、それ以前は資料と呼べるような記録はなく不明な点ばかりのようです。

北条氏が幕府を乗っ取った際に編纂された吾妻鑑

義経に関する唯一の資料と言える吾妻鑑は幕府が完全に北条氏のものとなった1300年頃編纂されたものとされています。

伊豆の一豪族であった北条氏ですが、配流されてきた頼朝と娘が恋仲になったばっかりに源平の争いに巻き込まれ、最終的には源氏まで滅ぼして一人勝ちしてしまいました。吾妻鑑はちょうどそのタイミングで書かれたといってもいいでしょう。

歴史書は鵜呑みにしてはいけない 

古事記・日本書紀に代表されるように、歴史書には時の権力者が自分の立場を正当化するために編集するという要素がありますが、2代将軍頼家を徹底的に悪者にし、「こういうバカ息子がいたから三代で滅びた」というストーリーをつくりました。

義経は北条氏とは直接の関係はなく、しかも自害して100年以上後に書かれた記述がどこまで正確かわかりません。資料というものは鵜呑みにしてはいけないことだけは確かなようです。

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