酒と車と御朱印の日々

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【御朱印】達谷窟毘沙門堂は「清水の舞台」を模して造られている

今回は達谷窟毘沙門天(たっこくのいわやびしゃもんてん)の御朱印をご紹介します。

往復夜行バスを利用した強行軍も中尊寺、高館義経堂、毛越寺と平泉駅周辺の三カ所をまわり、あとは平泉におけるゴールに設定していた達谷窟毘沙門天を残すのみとなりました。平泉駅からは厳美渓・平泉線のバスを利用しましたが、何せ1時間に1本という路線ですので、ひょっとしたらレンタサイクルを利用した方がいいかもしれません。毛越寺から駅に戻ってきてからバスの時刻まで20分くらいあり、駅前の店で前沢牛の串シュウマイと地ビールを満喫してもまだ時間が余りました。

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達谷窟毘沙門天まではバスで13分くらいでした。しかし田舎の信号も渋滞もない道で13分ですからそこそこ距離はあります。「達谷窟」バス停を14時18分に下車すると毘沙門天の一之鳥居がすぐ目の前にありました。

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念のため平泉駅方面のバス停の時刻表を確認すると次の便が14時42分発でその次が15時42分でした。ということは何としても24分でお参りを済ませ御朱印も頂かなくてはいけません。

 

二之鳥居です。

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三之鳥居です。

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「一之鳥居は石之鳥居、二之鳥居は丹之鳥居、三之鳥居は杉(さん)之鳥居」と称され、特に二之鳥居、三之鳥居は独特の様式となっています。

 

達谷窟毘沙門堂は岩壁に食い込むようにして建てられている毘沙門堂で知られています。

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およそ1200年前、この地に悪路王・赤頭・高丸といった蝦夷がこの地に拠点を構えて良民たちを苦しめ、女子供たちを掠めるといった乱暴なふるまいをしていたため坂上田村麻呂がこれを成敗します。戦勝を毘沙門天のご加護のおかげと感じた田村麻呂が京都の清水の舞台に似せたお堂を建てて窟毘沙門堂と名付けたというのが公式の縁起となっています。

 

蝦夷とは大和朝廷から見た北海道・東北地方に住む人々のことで、平安時代初期の朝廷にとって蝦夷の平定は重要な問題でした。縁起に登場する「悪路王」とはこの時代の蝦夷の軍事指導者であったアテルイのことではないかという説もあります。アテルイは一度は大和朝廷の軍を撃退しますが、坂上田村麻呂に敗れて処刑されます。

歴史というものは支配者が自己を正当化するために利用する場合が多々あります。「悪路王」が本当に悪人だったかについては少し考慮する必要があるかもしれません。

 

坂上田村麻呂の征討以後蝦夷の反乱は終息に向かい、帰順した蝦夷は俘囚と呼ばれるようになります。その俘囚と朝廷の間のトラブルから前九年後三年の役が発生し、その結果この地に奥州藤原家という巨大な地方勢力が誕生するのです。

 

美毘沙門堂はこれまで度々火災による焼失と再建を繰り返しており、現在の建物は昭和36年に再建された五代目となります。

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本当に岩壁に食い込んでいるようです。

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蝦蟇ヶ池弁天堂です。

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達谷川や北上川を美しい浮島が行き来しているのを見た慈覚大師が貧欲神の化身であるガマであると見破り、宇賀神の化身である弁財天をその上に乗せて抑え込んでいるそうです。

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つまり弁天堂のあるこの島はガマであるということです。

 

前九年後三年の役の死者を敵味方の区別なく供養するため源義家が岩壁に掘ったとされる顔面大佛です。

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もともとは胴体もありましたが、明治29年の地震で首から下が崩落してしまいました。

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悪路王がさらってきた姫君を逃げないよう待ち伏せしていたことに由来する姫待不動堂です。

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昭和62年に再建に着手し、平静8年に完成した金堂です。後世に技を伝えるために昔ながらの工法を用いて建てられています。

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御朱印は一之鳥居横の授与所で頂けます。

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岩壁をくりぬくような豪快な御朱印を頂きました。

無事14時42分のバスにも間に合い平泉駅に戻りましたが、盛岡に戻るための東北本線も1時間に1本しかなく、なおかつその列車が異音が発生したとかで途中30分ほど停車したため盛岡に戻ったときには18時を過ぎていました。そのため今回の平泉遠征はこの達谷窟毘沙門堂をもってゴールとします。

 

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