酒と車と御朱印の日々

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【御朱印】世界遺産の毛越寺には極楽を再現しようとした奥州藤原氏の執念が残っていた

平泉往復夜行バスの強行軍も中尊寺、高館義経堂とまわり、今度は毛越寺を目指すため一旦平泉駅に戻ってきました。この時点で時刻は⒓時半くらいだったと思います。

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その次に予定していた達谷窟毘沙門堂(たっこくのいわやびしゃもんどう)へ向かうにはバスを使うつもりでしたが、これが1時間に1本で13時5分、14時5分、15時5分発となっています。そのため14時までに駅に戻ってくることを目標に毛越寺に向かいました。(達谷窟に向かうバスが毛越寺を通ることは知らなかった。)

 

毛越寺は850年に天台宗の高僧である慈覚大師が創建したとされています。その後荒廃していたものを奥州藤原氏二代基衡の時代に再興され、全盛期には金堂円隆寺を中心に堂塔が40以上、禅坊が500以上立ち並び、伽藍の荘厳さは吾朝無双とまで称されました。

その後の度重なる野火や戦火により当時の建物は全て焼けてしまい、常行堂のみ1732年に再建されますがそれ以外は土壇と礎石を残すだけとなっていました。しかし保存状態が良好で伽藍の旧状を伺い知ることができることから特別史跡に指定され、それに加えて「平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-」の一部として世界遺産に登録されています。

 

毛越寺の山門です。この時には天気は完全に回復し、皮膚を刺すような強烈な日差しに変わっていました。

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「その荘厳なること本朝無双なり」とうたわれた毛越寺の「伽藍復原図」です。(番号は私が書き加えました。)

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それぞれの場所が現在どのようになっているか比較してみたいと思います。

 

「伽藍復元図」の左下➀の場所には平成元年に再建された本堂があります。

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②の嘉祥寺跡です。

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二代基衡が工事を始め三代秀衡の時代に完成したお堂です。幅27.9m、奥行き22.5mあったと言います。

 

③の講堂跡です。

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仏法を説き仏法を聴く堂舎で、密教儀式を行う場所でもありました。幅19.1m、奥行き15.1mの建物です。

 

④の金堂円隆寺跡です。

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金堂は金銀を散りばめ、紫檀・赤木でつぐなど「吾朝無双」とまで称されるほど二代基衡が壮麗さを極めて建立した勅願寺です。

 

⑤の「遣水(やりみず)」です。奈良の宮跡庭園以外例がなく、平安時代の遺構としては唯一のものとなります。

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ここは「曲水の宴」の舞台となります。

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⑥の常行堂・法華堂跡地です。

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常行三昧・法華三昧という天台宗の修行の道場でした。

 

⑤と⑥の中間に1732年に再建された常行堂があります。

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常行三昧の古修行と「延年の舞い」が行われています。

 

⑦の庭園は平安時代末期の遺構としての毛越寺の魅力を最も感じさせられるものとなっています。

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極楽浄土の世界を再現しようとして金堂の前面に池をつくり花園を設けた浄土式庭園の典型的な姿を見事に現在に残しています。

 

⑧は毛越寺に隣接した観自在王院跡の舞鶴が池です。観自在王院は基衡の妻が創建した寺院です。

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⑨は観自在王院の南門跡です。

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かつて広大な境内に大伽藍が建ち並んでいた毛越寺ですが、今は本堂、常行堂の他、大泉が池と様々の石組からなる浄土庭園、堂宇や回廊の基壇、礎石、土塁、それに堂塔十余、僧坊十七坊が残されているのみです。まさに「兵どもが夢の跡」と言ってもいいかもしれません。

しかし焼け落ちてしまったそれ以外の伽藍も、土壇と礎石だけという姿とはいえ現代まで生き残ったことで世界遺産として多くの観光客を集める魅力的な空間に再生されました。藤原基衡が再現しようとした姿とは全然違う物となりましたが、これもまた極楽の一つの形ではないでしょうか。私はむしろこっちの方に来たいと思います。

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世界遺産の名に恥じぬ美しい御朱印を頂きました。

 

◆平泉といったらやはりここ。国宝建築物第一号の金色堂を擁する中尊寺

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 ◆源義経終焉の地である高舘義経堂の記事

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