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【御朱印】高舘義経堂では芭蕉も涙した美しい眺望を堪能できる

中尊寺のお参りを終えた後、徒歩10数分の距離にある高館義経堂(たかだちぎけいどう)に向かいました。高館義経堂は源義経終焉の地として知られています。(地図右下の赤線を引いた場所)

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日本史上の登場人物で人気投票をすれば義経は間違いなくベスト5に入るような人物です。一般的な日本人が持つ義経のイメージとしては眉目秀麗で頭の切れる戦略家であり、かつ人情にも厚い理想的な男性像ではないでしょうか。ドラマや映画において義経を演じるのは大抵の場合二枚目俳優と決まっています。

源平の合戦において平氏を討滅するという最大の功績をあげながらも兄である頼朝の怒りを買い、都から遠く離れた奥州の地で無念の最後を遂げた華麗でありながら悲劇的でもあったその生涯は多くの日本人の心を打ちました。

 

悲劇のヒーローというイメージに基づいて室町時代の戦記物である義経記が書かれ、江戸時代になると浄瑠璃や歌舞伎を通して増幅され、「弱い立場の者を応援しようとする」という判官贔屓などという言葉まで出来ました。

ついには義経は平泉で死んでおらず、蝦夷地からモンゴルに渡ってチンギスハンになったという説を真面目に主張する人が何人も出現するくらい日本人は義経が好きなのです。

 

実際には1189年4月30日に藤原秀衡の子である泰衡が頼朝の圧迫に耐えかねて義経を急襲し、敗れた義経がこの高館の地で妻子とともに自害したというのが史実であると言っていいと思います。

1683年に仙台藩主第4代伊達綱村が義経を偲んでこの地に建てたのが現在の高館義経堂です。

 

県道300号線から離れ、東北本線の踏切を渡ると看板が見えてきました。

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この先何かありそうな雰囲気は全くないのですが、看板を信じて坂を上ることにします。

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階段と拝観券発行所がありました。ここで御朱印帳を預けておくと拝観中に書いておいてくれます。

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義経の木造を安置した義経堂です。

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安置されている木造です。

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一般的に義経とされるこの画像とはかなり異なっています。

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義経堂の脇には源義経主従供養塔が立てられています。昭和61年に藤原秀衡、源義経、武蔵坊弁慶の800回忌を期したものです。

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義経堂の敷地内には松尾芭蕉の名句「夏草や兵共が夢の跡」の句碑が残されています。

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「奥の細道」の旅の途中で芭蕉が平泉を訪ねたのが1689年5月13日で、この地に立って眼下に広がる風景を眺め涙しながら詠んだものです。

高舘義経堂の売りの一つが芭蕉も涙した「平泉随一の眺望」です。

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当時は金色堂を除く中尊寺の大半の建物が火災で焼失して再建される前の最も荒廃していた時期ですから、栄華盛衰に対する一層の強い思いもあったことでしょう。

 

拝観を終えて階段を下りると御朱印は出来上がっていました。

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義経の悲運を象徴するような御朱印を頂きました。

 

◆中尊寺の御朱印と御朱印所を詳細に解説した記事

www.goshuinbukuro.com

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