酒と車と御朱印の日々

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【御朱印】浄光明寺はタモリがブラタモリで訪れた寺院である

扇ヶ谷の英勝寺をお参りした後、同じ扇ヶ谷の浄光明寺をお参りしました。

浄光明寺は1251年に鎌倉幕府第6代執権の北条長時により創建された寺院で、後に北条氏の中でも赤橋流と言われる家系の菩提寺となりました。もともと北条氏の屋敷だったものを寺としたようです。

 

中世に入ると足利氏の帰依を受けるようになり、足利尊氏や弟の直義から寺領や仏舎利の寄進を受けています。

鎌倉幕府滅亡後の鎌倉は直義が治めていましたが、最期の執権であった北条高塒の遺児である時行が反乱を起こすと直義は現在の鎌倉宮の地に幽閉されていた護良親王を殺して鎌倉から逃亡します。乱の鎮定のため鎌倉に向かった尊氏は直義と合流して時行を討伐しますが、後醍醐天皇からの上洛命令を無視して蟄居したのが浄光明寺です。

護良親王を殺したことに対する謝罪と謹慎という体裁をとっていますが、一方で後醍醐天皇方の新田義貞を挑発し、後に義貞討伐を大義名分として出陣します。その後状況は二転三転しますが最終的に尊氏は後醍醐天皇を打倒して建武の新政を崩壊させるため、浄光明寺での蟄居は「賊名逃れの芝居」であるという説も根強くあります。足利尊氏の生涯は同じように幕府を開いた源頼朝や徳川家康と比べ複雑すぎて理解しきれません。

 

英勝寺を出て横須賀線の踏切を渡り、住宅街の中の緩やかにカーブした坂を上ったところに浄光明寺は位置しています。

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NHKの人気番組である「ブラタモリ」が鎌倉を取り上げた際に最初に訪れたのも浄光明寺でした。2000年に発見された「浄光明寺敷地絵図」には鎌倉時代の寺の様子が描かれていますが、寺に向かう緩やかにカーブした坂道は鎌倉時代と全く同じようです。

 

山門を入って左側の様子です。手前が愛染明王を祀った客殿、奥が庫裏です。

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山門右手の不動堂は1745年に建てられたもので、八坂不動と呼ばれる不動明王像を祀っています。

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この日の鎌倉はどこへ行っても新緑が綺麗でした。

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客殿と不動堂の間を進むと仏殿の下に出ます。正面の階段は立ち入り禁止です。

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横にある階段を上りましたが、ここから先の拝観は木・土・日曜のみのようです。この日は金曜日でしたのでこれが精いっぱいでした。

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仏殿は1668年に建立されました。奥に見える収蔵庫には国の重要文化財である阿弥陀三尊像が安置されています。手前の槇の木は市の天然記念物です。

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浄光明寺は江戸時代になると荒廃してしまい、住職もおらず本堂さえ失われてしまうような状態でした。それでもよくここまで残ったものだと思います。

 

「ブラタモリ」では最後に非公開の裏庭まで紹介していましたが、ここは年に1回の「裏かまくら特別参拝」でのみ公開しており、今年は3月17日に終了してしまったようです。その頃はまだツイッターを始めておらず、こういった限定の情報にはまだまだ疎かった頃でした。翌日の18日に瑞泉寺から鎌倉宮、荏柄天神社とまわっているくらいですから行こうと思えば行けました。もったいないことをしたものだと思います。

御朱印は庫裏で頂けます。

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覚園寺と同様に「達筆の極み」といった風の御朱印を頂きました。

 

◆見どころがありすぎてまとめるのに苦労した英勝寺の記事

minamimachida0706.hatenablog.com

◆絶対に一度は行ってみた方がいい覚園寺の記事

minamimachida0706.hatenablog.com

 最後までお読みいだだきありがとうございます。