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【御朱印】長勝寺は石井長勝が寄進したから石井山長勝寺である

日蓮宗にとっての重要な場所である鎌倉の松葉ヶ谷で妙法寺、安国論時に続き三番目に長勝寺をお参りしました。

 

長勝寺は安国論寺の総門を出て妙法寺と反対方向に進んで横須賀線の踏切を渡った場所にあります。こんな眺めは久しぶりだと思い写真を撮りました。

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長勝寺は日蓮宗を代表する寺院ですが、世間と隔絶されたような環境にある妙法寺や安国論寺と比べると普通の寺院という雰囲気でした。

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三浦氏の一族である石井長勝が、帰依している日蓮のために自邸内に法華堂を建てて寄進したことが始まりとされていますが、それが他宗の僧から焼き討ちを受けた「松葉ヶ谷の法難」の前か後かについては資料により記述が異なっています。

1254年に千葉の清澄寺から鎌倉入りした日蓮は松葉ヶ谷の草庵を拠点に辻説法を行いますが、妙法寺、安国論寺と同様に長勝寺もその松葉ヶ谷草庵の跡地であることを主張していますのでこれは重要な問題です。しかし門前に立てられている鎌倉市の解説では長勝寺は伊豆の配流先から鎌倉に戻った日蓮が住んだ場所とされていました。

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日蓮は1260年の松葉ヶ谷法難の翌年に幕府に捕らえられて伊豆に流されます。その際に伊東沖の「俎岩(まないたいわ)」に置き去りにされ、危ういところを漁師に助けられたのが「四大法難」の一つである伊豆法難です。日蓮が赦されて鎌倉に戻るのはその2年後ですから鎌倉市としては長勝寺は草庵の跡地ではないと判断しているのでしょう。

 

長勝寺の山門です。

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参道の先が本堂、左手の階段を上がると法華堂があります。

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左手の階段の上にある法華堂です。

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石井長勝が日蓮に寄進した法華堂は後に京都に移され本圀寺となります。その後荒廃していたものが再興され、石井長勝にちなんで石井山長勝寺と名付けました。

 

法華堂の横の鐘楼です。

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鐘楼の奥に本師堂があり、タイ国渡来の金色釈尊像が祀られています。

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本堂の前には辻説法姿の日蓮とそれを護るように四天王像が建っています。妙本寺から歩き通しで疲労しきっており、中央の日蓮の像をしっかりと写さなければという意識に欠けていました。

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長勝寺の本堂です。こちらには帝釈天が祀られていますが、日蓮を松葉ヶ谷の法難から救った白猿が帝釈天の使いであるとされていることから長勝寺は帝釈天の霊場であるとされています。

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毎年2月11日に実施する水行の場です。

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国家安泰と世界平和を祈願して千葉県の法華経寺で百日間の荒行を続けてきた修行僧が毎年2月11日に長勝寺で最後の水行を行う場所です。当日は裸にふんどし姿の修行僧が経文を唱えながら手桶で頭から水をかぶります

 

御朱印所らしきものがどこにも見つからずずいぶんと探し回りましたが、本堂前の階段の左下に寺務所の入り口がありました。入り口から入って左奥に進むとそこで受け付けてくれました。

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大変に力強い御朱印を頂きました。

 

 ◆日蓮が「立正安国論」を執筆した場所とされる安国論寺の記事

minamimachida0706.hatenablog.com

◆次にお参りした補陀洛寺の記事

minamimachida0706.hatenablog.com

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