酒と車と御朱印の日々

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【御朱印】下谷神社の金色の御朱印を頂くための行列は半端なかった

下谷(したや)神社は東京メトロ銀座線の「稲荷町」駅徒歩2分の場所に位置する神社です。5月5日から7日の期間、大祭限定の御朱印が配布されるということから本日お参りしてきました。

上野は頻繁に訪れる場所です。また合羽橋道具街が近くにある関係で銀座線の田原町も時々利用します。しかしこの中間の稲荷町は私にとって空白地域で、ここに由緒ある神社があるとはうかつにも全く知りませんでした。

 

浅草通りに面した堂々たる鳥居です。

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ゴールデンウィーク中の限定御朱印という事である程度の覚悟はしていましたが、やはり行列ができていました。

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当然のことながら門の外まで延びています。

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神社の敷地の外まで続いています。

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角を曲がってさらにちょうど1区画分続いていました。

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行列に加わったのは10:45頃でした。八王子の子安神社の桜限定御朱印の時より進むスピードがかなり遅いので、これは番号札を渡されるのではなくその場で書いてもらっているのだろうと思っていました。

12時を過ぎ、1時間半近く並んでいよいよ受付という段階で衝撃的なものを目にしました。やはり限定御朱印をなめてはいけないのです。

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ちなみに6日と7日の御朱印については整理券を配布するようです。

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順番が前後しますが下谷神社の楼門です。

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社殿です。天井には横山大観作の天井画が描かれているそうです。

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下谷神社は730年に現在の上野公園内に建立されました。古くから「正一位下谷稲荷社」と名乗っていたので都内で最古の稲荷神社であると言えます。

平将門の乱においては朝敵追討が祈願され、乱が平定されると新たに社殿が造営されました。

上野に寛永寺が建立されると移転されることとなり、最終的に1680年に現在の地に社殿を構えました。しかし関東大震災で焼失してしまい、現在の建物は昭和9年に再建されたものです。

明治になり神社の名前にちなみ周辺の地名が下谷稲荷町となりました。下谷稲荷町はその後現在の浅草通りを境に南北に分けられますが、地下鉄の駅名はここに由来します。昭和39年に実施された町名変更によりこの地は南稲荷町から現在の東上野三丁目となりました。

台東区のHPを見ると「台東区の旧町名について」というページがあり、「これら由緒ある旧町名について」その由来や町にまつわる話などを紹介しています。

台東区の旧町名について 台東区ホームページ

後になって懐かしむくらいなら町名変更など初めからやるなと思います。

上神明天祖神社の「蛇窪」はなくなりました。愛宕神社の「愛宕」は「西新橋」に飲み込まれそうになりました。役所の機械的判断で由緒ある地名が次々と失われていくのは本当に何とかしてほしいものだと思います。

 

神社内で飼育されているアヒルです。ご近所さんからはガーちゃんと呼ばれているようです。

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下谷神社の本社神輿です。

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下谷神社大祭は下町で一番早い夏祭りとされ1000年上の歴史があります。本社神輿の渡御を行う「本祭り」と町会神輿の渡御だけの「陰祭り」が隔年に行われていて、平成29年は「陰祭り」に当たるため、本社神輿は、5月7日の日曜日、山車に乗せて、氏子区域を巡行します。

 

さて御朱印については2時間待ちという事なので合羽橋の道具街を散策して時間をつぶしました。

稲荷町から田原町にかけての浅草通り沿いにはなぜか仏具店が集中しています。

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明暦の大火の後、寺院仏閣が幕府により上野から浅草にかけて集められたため、これら寺社に対して仏具などを製造し納める職人が上野から浅草にかけてたくさん集まり、店を構えました。そのためこの界隈は「浅草仏壇通り」と呼ばれているようです。

 

1時間45分くらいで戻ると御朱印は出来上がっていました。

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金色の文字で書かれた大変に珍しい御朱印をいただきました。

 

◆寺社ごとの個性がでるカラフルな御朱印

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