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〖御朱印〗芝公園内の芝東照宮に行ってみた

今回は芝公園内に位置する芝東照宮の御朱印をご紹介します。

東照宮といえば日光と久能山しか知らない方は多いのではないでしょうか。私も寛永寺をお参りした帰りに上野東照宮に気が付き、増上寺をお参りした後に芝東照宮を発見し、その都度「またかよ」と思っていました。しかし調べてみると東照宮は全国に点在していて、日光東照宮に本部を置いた全国東照宮連合会という組織まであり、北海道から九州まで47社が加盟するまでになっています。


1616年に駿府城で家康が亡くなると遺言に従って棺は久能山に運ばれ、1年後に日光に遷座されました。その間に朝廷から家康に対し「東照大権現」の神号が宣下され、それにより久能山と日光に二つの東照宮が並立します。しかし話はそれだけで終わりませんでした。
各地の諸大名が競って東照宮を建てるようになったのです。伊達政宗の次男である伊達忠宗は伊達家の守護神として祀り、豊臣・徳川両氏の親戚筋であった広島藩浅野家も広島東照宮を建立しました。1864年に五稜郭が完成すると函館にまで東照宮ができました。最大で全国に700社あったといいますから諸大名がいかに3代将軍家光を恐れていたかよくわかります。

明治以降激減し、現存するのは100社程度のようです。そういえば佐野厄除け大師の境内にもありました。


家康は還暦を迎えた記念に自身の等身大の像を刻ませていましたが、この「寿像」を祀った社殿を増上寺内に建造するよう言い残して亡くなります。これが芝東照宮の起源となり、家康の法名から「安国殿」と呼ばれていました。

f:id:minamimachida0706:20171031215217j:plainその後家光により豪勢な社殿が整えられることになりますが、明治になってからの神仏分離令により増上寺から分離して芝東照宮となります。


徳川家光が植樹したといわれる大イチョウで、東京都の天然記念物です。(全体像を撮るのを忘れました)

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星野高士という高浜虚子の曾孫にあたる俳人の句碑です。まだご健在の方のようです。

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昭和44年に再建された社殿です。昭和20年の東京大空襲により寿像と大イチョウを残し全て焼けていました。

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隣接した芝公園の広場では子供たちが元気に遊んでいました。芝公園で「公園デビュー」というような家庭というのは一体どのような生活をしているのでしょうか。

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全国の東照宮の内、久能山、日光、上野、芝を称して「四大東照宮」と呼ぶそうです。一方で久能山、日光に自分の近隣の東照宮を勝手に加えて三大東照宮と呼ぶ「三大大仏」のような事態も生じているようです。


御朱印は社務所で頂けます。初穂料は500円でした。

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風格を感じられる御朱印を頂きました。

◆四大東照宮の一つである上野東照宮の記事 

minamimachida0706.hatenablog.com

◆同じ芝にある芝大神宮には意外な逸話が沢山あったという記事

minamimachida0706.hatenablog.com

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