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【御朱印】上野東照宮は「生涯で7度主人を変えた」藤堂高虎の屋敷跡にある

今回は日本四大東照宮の一つである上野東照宮の美しい御朱印をご紹介します。

上野公園内に点在する寛永寺の諸堂について5回に分けて書きましたが、そもそも「上野」という地名の由来はどのようなものだったのでしょうか。諸説あるようですが、私が最も魅力的に感じたのは「このあたりの地形が伊賀上野に似ていた」という説です。関ケ原の功により徳川家康より伊賀上野を与えられた藤堂高虎の下屋敷が現在の上野動物園の場所にあり、高虎がこのあたりを上野と呼ぶようになったというのです。


藤堂高虎は豊臣秀吉によって大名に取り立てられながら秀吉が病に倒れると次は家康の時代だと見抜き、まだ秀吉存命中の内から家康のために積極的に裏工作に走った人物です。「生涯で7度主人を変えた男」として「世渡り上手」というイメージが強かったため家康も警戒していたようですが、最終的には井伊家と並んで徳川軍の先鋒を任されるまでの信頼を勝ち取りました。
晩年、死の病に倒れた家康を高虎と天海大僧正が駿府城で見舞った際、家康は病床に二人を呼び三人が末永く魂鎮まる場所を造るよう遺言されたと言います。それを受けて高虎は1627年に上野の屋敷内に家康を祭神とする宮祠を造りますがこれが現在の上野東照宮です。1651年に三代将軍家光が大規模に作り替え現在の姿となりました。


大石鳥居です。

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関東大震災の際にも少しも傾かなかったほど頑丈に作られています。


印象的な山門です。

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両脇の石灯籠は1651年の改修の際諸大名から奉納されたものです。

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何でこんなところに五重塔があるのかと思いましたが、これはかつての寛永寺の五重塔です。

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全部で48基ある銅灯篭も諸大名から奉納されたものです。

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唐門です。拝観料を払うと左手奥から敷地内に入ることが出来ます。その際若くてきれいな巫女さんが「文化財保護のため建物内には入れません」と言ってくれます。

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敷地内に入ると樹齢600年以上のご神木である大楠があります。

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強運開祖、受験・就職必勝の神様である栄誉権現社です。

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様々な動植物が描かれた透塀です。向こう側が透けて見えるのでこう呼ばれています。

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絢爛豪華な社殿です。現在は家康・吉宗・慶喜の三者が御祭神として祀られています。

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大阪の陣以降徳川軍の先鋒は井伊家と藤堂家が務めることが慣例となりますが、幕末の鳥羽伏見の戦いで藤堂家の津藩が真っ先に新政府軍に寝返ったことが幕府軍総崩れのきっかけとなりました。そのため「藩祖の薫陶著しい」と皮肉られることとなり、高虎の悪評を決定づけるものとなります。しかし実際の高虎はこれはと見込んだ主君である家康に対しては最後まで忠誠をつくした武将だったのです。


御朱印は昨年6月にお参りした際に頂いたものです。男の煩悩を思い切り掻き立てるような若くてきれいな巫女さんが書いて下さいました。

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さらさらと流れるような筆跡の御朱印を頂きました。恐らく「東照宮」と書いているのでしょうが、ここまで達筆だともはや何と書いているのかわかりません。

 

◆上野公園内に点在する寛永寺の諸堂に関する記事 

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 ◆三大東照宮を名乗る神社は全国にある

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