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【御朱印】不忍池弁天堂に様々な団体の石碑が集まる理由とは?

今回は不忍池弁天堂の御朱印をご紹介します。

徳川家康の側近であった天海大僧正は1625年に比叡山延暦寺に倣って上野の地に寛永寺を建立しましたが、その際不忍池を琵琶湖に見立て、竹生島にちなんだ島を池に築きました。そして竹生島の宝厳寺の八臂大辯才天をこの地に勧請して弁天堂を建立したのです。琵琶湖と竹生島に見立てられたお堂であったため、当初はお堂に参詣するにも船を使用していたのですが、参詣者が増えるにともない江戸時代に橋がかけられました。

もともとの建物は昭和20年の空襲で焼けてしまい、現在の建物は昭和33年に再建されました。

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こちらでは手書きの境内案内図が貼りだされていました。

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弁天島とつなぐこの橋は天龍橋というそうです。

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増上寺と東京タワーは釣り合っていますが、こちらは全然釣り合っているとは思いません。不忍池周辺は完全に都市計画が間違っていると思います。

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御本尊の弁財天は七福神の一つであり音楽・弁才・財福・知恵の御利益があると言われており、また金運のパワースポットとしても知られています。寛永寺のこれまでの諸堂が比較的閑散としていたのに対し、ここ不忍池弁天堂は平日であるにもかかわらず大勢の参詣客で賑わっていました。最近はどこの寺社も外国人の観光客が多く驚かされます。

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拝殿の裏側の本殿は八角形の形状となっていました。

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拝殿向かって右側にある大黒天堂には【豊太閤護持 大黒天堂】という札が立てられています。

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「豊太閤」は豊臣秀吉であり、秀吉が護持していた大黒天を祀っているという事なのでしょうが、徳川家の菩提寺である寛永寺の諸堂になぜ秀吉の護持仏があるのか、どこを調べてもわかりませんでした。

 

弁天堂右奥にあり、弁天島から切り離したように独立した小島にあるのが聖天宮です。門が閉じられていますが、毎月巳の日に扉が開かれるそうです。

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弁天堂の背後には奥の院があります。

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弁天堂の周辺には実に様々な石碑が建てられていることに驚かされます。

私もお世話になっている「めがねの碑」です。

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「ふぐ供養碑」です。ちなみに朝鮮出兵の際に下関で兵がフグで中毒死するのをみた豊臣秀吉が禁止令を出し、日清戦争の講和会議の際下関でフグを食べた伊藤博文が解禁令を出したとのことです。

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扇塚です。

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スッポン感謝の塔です。

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いと塚です。

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時の内閣総理大臣中曽根康弘氏の揮毫による暦塚です。日時を知る原点とも言うべき日時計と地球儀を型どったブロンズが据えられています。

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「包丁塚」です。かつての人気漫画「包丁人味平」において「包丁試し」の舞台となりました。漫画のように大観衆を収容できるスペースはなさそうですね。

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鳥塚です。

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魚塚です。

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不忍池弁天堂とその周辺の石碑を取り上げた記事は無数にありますが、「なぜこの地にこれだけ集中したのか」という疑問には誰も触れていません。「こうなったら仮説でもいいから立ててやる。」と思い意地になって調べたところようやく納得のいく説明を見つけました。
弁財天は知恵と才能の仏様であるため芸能人や料理人といった人たちを始め、様々な職人たちがお参りに来ます。そのためその職人たちに関連した供養塔がここに建てられました。また不忍池は捕らえた生き物を放してやる「放生の池」として定められていたため調理関係の碑が多く建てられているのです。

http://art-c-tokyo.net/%E3%82%AD%E3%83%86%EF%BC%81%E3%83%9F%E3%83%86%EF%BC%81%E4%B8%8A%E9%87%8E%E5%85%AC%E5%9C%92vol-2

上野公園の不忍池と言えば東京を代表する観光地であり、バラバラに立つよりは集中していた方が話題になるでしょうから、こういった石碑は今後も増えていくのではないでしょうか。今ならまだスペースにも余裕があります。
御朱印は本堂の中で頂けます。

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豪快そのものの御朱印を頂きました。

 

◆寛永寺根本中堂の記事

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◆寛永寺開山堂の記事

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◆上野大仏の記事

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◆清水観音堂の記事

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