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〖御朱印〗「これ以上落ちない」とまで言われる上野大仏の苦難の歴史

今回は上野大仏の御朱印をご紹介します。

上野公園には「大仏山」と呼ばれる丘があり、その上にはかつて本当に大仏が安置されていました。

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現在では高さ約6mの釈迦如来坐像の顔面部分だけをレリーフとして安置しています。

上野大仏は1631年に越後村上城主である堀直寄が戦乱に倒れた将兵を敵味方なく供養するために寺邸内に阿弥陀如来像を建てたことから始まります。天下分け目の関ケ原の戦いの31年後、豊臣が滅亡した大阪夏の陣の16年後です。
粘土を漆喰で固めたようなものであったため1647年の地震で倒壊してしまい、1660年ごろ江戸市民の浄財により青銅製の堂々たる釈迦如来座像が建立されました。さらに1698年には大仏を風雨から覆うための仏殿まで建立されます。

その後1841年に火災により大仏・仏殿ともに被害を受けますがその後修復、さらに1855年には安政地震により損傷し修復と災難が続きました。

そして明治になると上野公園の整備のため大仏殿が撤去されてしまいます。
最大の苦難は1923年の関東大震災で頭部が落下したことでした。その後頭部と胴体は寛永寺にて保管されますが、資金繰りの目途が立たなかったため再建計画が立てられません。結局先の大戦における金属類回収令により顔面部分を除く頭部と胴体が軍により回収されてしまいました。

 

関東大震災から50回にあたる1967年に、大仏殿があった場所に薬師三尊像を本尊としたパゴダが建立されました。

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その5年後の1972年に寛永寺で保管されていた顔面部をレリーフとして安置すし、現在の姿となっています。

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関東大震災で頭が落ちる前はこのような姿だったようです。

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現在の姿になるまでに何回も災難に遭っている訳ですが、それだけに「もうこれ以上落ちない」ということで試験合格のパワースポットとなっているというニュースを今年何回も見ました。

これまで試験に落ちたことの無い現役の受験生が「これ以上落ちない」ということにあやかりに来るのは少し虫が良すぎないかとかつての多浪生は思いますが、大仏様にとっても思いがけないことだったのではないでしょうか。

 

江戸時代の上野大仏は全て南向きに安置されていたため南側に参道がありました。参道の跡は現在も石段として現存しています。

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上野大仏の南隣には1996年6月に環境省の残したい日本の音風景100選に選ばれた「時の鐘」があります。

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最初の鐘は1666年にできましたが、1787年に現存する鐘ができました。今でも時の鐘は午前・午後6時と正午に撞かれています。

 

上野大仏の御朱印は清水観音堂で頂けます。

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大仏とパゴタの2種類ありますが、私は大仏の御朱印だけ頂きました。

 

もうこれ以上悪くはなりようのない上野大仏ですが、「いつか再建を」という動きがあるようです。実現することを願ってやみません。

 

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