酒とうどんと御朱印の日々

心願成就へ向け飲んですすってひたすら祈る!信じる者は救われる!

〖御朱印〗浅草神社の社殿は大震災も空襲も切り抜けた文化財である

今回は浅草神社の御朱印をご紹介します。

浅草神社の境内堂々たる建築物である浅草寺本堂の右隣りに位置していて、普段はややひっそりとした雰囲気です。

三社祭における浅草神社の賑わいそれでも例大祭である三社祭は東京を代表する祭りの一つとなっており、大変な賑わいを見せます。

浅草神社の由緒

推古天皇の時代であった西暦628年に隅田川で漁をしていた兄弟の網に仏像がかかりました。それが聖観音像であることにその兄弟の主人が気付き、自宅を寺に改め自らは出家して供養したことが浅草寺の始まりです。西暦646年の「大化の改新」より前ですから年号はまだありません。

平安時代の末期から鎌倉時代にかけて、この兄弟およびその主人の3人を浅草の発展に寄与した郷土神として祀ったのが「三社さま」と呼ばれる現在の浅草神社の起源です。

明治になってからの神仏分離令により浅草寺と別法人となり、明治6年より浅草神社と称しています。

浅草神社の境内

大鳥居

浅草神社の大鳥居

夫婦狛犬

浅草神社の夫婦狛犬通常は一対で置かれる狛犬ですが、こちらはお互いに寄り添っています。「良縁」「恋愛成就」「夫婦和合」の願いを込め、相合傘をさして祀っています。

神楽殿

浅草神社の神楽殿この日は神楽殿の前で猿回しが演じられていました。

御神木の「槐」

浅草神社の御神木の「槐」檜前浜成・竹成の兄弟は網にかかった聖観音像を当初は槐の切株に安置したと言われています。

浅草神社の境内には槐の木が自生し、枯れては生えを繰り返しています。

神輿庫

浅草神社の神輿庫

神輿庫の扉に描かれた浅草神社の紋所三社祭で町中を渡御する三基の神輿が納められています。

「こち亀」の碑

「こち亀」の碑先日惜しまれつつ連載終了となった「こちら葛飾区亀有公園前派出所」にまつわるものはあちこちで見ることが出来ますが、こちらは両津勘吉の少年時代の友情を描いた「浅草物語」にちなんだものです。

関東大震災も東京大空襲も切り抜けた社殿

浅草神社の社殿現在の社殿は徳川家光の寄進で1649年に完成したものです。

浅草寺の本堂は東京大空襲により焼失しましたが、浅草寺の社殿は関東大震災も東京大空襲も乗り越え、江戸時代初期の姿を現在まで残しており、国の重要文化財に指定されています。

浅草神社の社殿の鮮やかな色彩建物全体の彩色とうるしの劣化が著しくなったため、平成8年に工事費総額3億5千万円をかけて 塗り直しを行った結果、色彩の鮮やかさがよみがえりました。

被官稲荷社(境内社)

境内社の被官稲荷社1854年に新門辰五郎の妻が病に伏した際、京都の伏見稲荷社に祈願した結果全快したことから、翌年お礼のために勧請したものです。

被官稲荷社の覆屋社殿は創建時のもので、大正時代に覆屋を建てて風雨から保護しています。

御朱印

御朱印は授与所でいただけます。

御朱印

聖観音像をすくいあげた網を描いた御朱印を頂きました。

◆三社祭の限定御朱印で日焼けした記事

www.goshuinbukuro.com

◆浅草寺の見どころを集めた記事

www.goshuinbukuro.com

◆浅草周辺で頂ける御朱印の記事

www.goshuinbukuro.com

www.goshuinbukuro.com

www.goshuinbukuro.com

最後までお読みいただきありがとうございます。

スマホでご覧の方はPCでも見ていただきますと写真がよくわかります。

※はてブのところをポチっとしていただきますと励みになります。