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〖御朱印〗泉岳寺の義士祭と「それまではただの寺」だった歴史

 

今回は赤穂義士で知られる泉岳寺の御朱印をご紹介します。ちょうどこの日は義士祭開催中で平日にもかかわらず大変に賑わっていました。

有名な赤穂義士の吉良邸討ち入りの際、本懐を遂げた義士は吉良邸から約9.6kmの場所にある泉岳寺まで歩きました。この日は元禄15年12月14日(旧暦)だったため、泉岳寺では毎年12月14日に義士祭を開催しています。

「それまではただの寺」だった泉岳寺

泉岳寺は今川義元の菩提を弔うために徳川家康によって1612年に創建された寺院です。もともとは現在の警視庁がある桜田門の近くに位置していましたが、寛永の大火によって伽藍が焼失してしまい、徳川家光の命により現在の地に移転されました。その際に毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷の御大名が尽力したことで浅野家との縁ができたきっかけだといいます。

元禄14年3月14日午前11時半頃に松の廊下の刃傷事件が発生するのですが、浅野内匠頭は即日切腹となり遺体は菩提寺である泉岳寺に埋葬されました。

赤穂義士による吉良邸討ち入りは元禄15年12月14日の早朝4時頃決行され2時間程度で終了したということなので、ドラマとはずいぶんと様子が違っています。吉良を打ち取った義士たちは泉岳寺で主君浅野内匠頭の墓前に首を供えて焼香しましたが、その首は翌日泉岳寺の僧が吉良家に届けました。

今では京急線の駅名になるほど有名な寺院ですが、「それまではただの寺なり泉岳寺」と川柳で詠まれるほどもともとは普通の寺だったようです。

泉岳寺の御朱印

御朱印所

泉岳寺の御朱印所は本堂右手の寺務所になります。

受付時間8:30~17:00

志納金「お気持ちで」

御朱印

頂いた御朱印です。

泉岳寺の御朱印こういういい方は不謹慎かもしれませんが、どの角度から見ても「かっこいい」御朱印です。

義士祭開催中の泉岳寺の境内

中門

泉岳寺の中門1836年に再建されたものです。

泉岳寺の参道参道は平日にも関わらず祭で賑わっていました。

山門

泉岳寺の山門1832年に再建されたものです。

大石内蔵助像

大石内蔵助の銅像

本堂

泉岳寺の本堂旧本堂は先の大戦で焼失し、現在の建物は昭和28年に再建されたものです。

線香の煙が目に沁みた赤穂義士の墓

赤穂義士墓地に向かう行列赤穂義士墓地は入場制限をするほど混雑していました。

血染めの梅・血染めの石

泉岳寺の血染めの梅・血染めの石浅野内匠頭が切腹した際にその血がかかったとされる梅と石です。

首洗い井戸

泉岳寺の首洗い井戸本懐成就の後、吉良の首級を洗ったとされる井戸です。

義士墓入り口の門

泉岳寺の義士墓入り口浅野家の屋敷の裏門を移築したものだそうです。

浅野内匠頭奥方の墓

泉岳寺にある浅野内匠頭奥方の墓

浅野内匠頭の墓

泉岳寺にある浅野内匠頭の墓

義士たちの墓の配置図

義士たちの墓の配置図預かりとなった屋敷ごとに並んでいました。

義士たちの墓

泉岳寺にある義士たちの墓

泉岳寺にある義士たちの墓戒名に全員「刃」の字が入っています。

大石内蔵助の墓

泉岳寺にある大石内蔵助の墓浅野内匠頭の隣に位置しています。

大石主税・堀部安兵衛の墓

泉岳寺にある大石主税・堀部安兵衛の墓一番奥の枠の中が大石主税の墓、その手前が有名な堀部安兵衛の墓です。

線香の煙が物凄く、目が痛くなりました。

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