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〖御朱印〗分福茶釜ゆかりの地である茂林寺はタヌキであふれていた

今回は群馬県館林市の茂林寺の御朱印をご紹介します。

茂林寺は「分福茶釜」ゆかりの地として知られています。

和尚さんが古い茶釜を買ってきて火にかけたところ、茶釜が「熱い!」と悲鳴をあげます。気味が悪くなった和尚さんは茶釜を古道具屋に譲りますが、古道具屋はその茶釜はタヌキが化けたものだと知ります。

タヌキが茶釜の姿のまま元に戻れなくなったことを知った古道具屋は、タヌキが元の姿に戻れるまで泊めてやることにしました。タヌキはお礼に見世物小屋で綱渡りの曲芸をして見せ、古道具屋を大いに儲けさせたという話です。

その茶釜が今も伝えられているというのが茂林寺です。

 

茂林寺の参道には小さいながらも土産物屋が連なっています。

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商品としてはやはりタヌキということになります。

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1468年に建立された総門です。黒門とも呼ばれています。

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総門から続く参道には合計21体のタヌキ像が並び、参詣客を出迎えています。

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赤門と呼ばれる山門です。1694年に建立されました。

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聖観音像です。上野国館林村大窪荘の高瀬善兵衛の娘が元禄元年(一六八八)病没し、その供養の為に江戸神田鍋町の太田久右衛門(藤原正儀)が鋳造し、高瀬善兵衛が元禄三年三月二二日に寄進したものです。

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1468年に建立された茂林寺の本堂です。

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茂林寺の開山は大林正通で、1426年に館林に小庵を建て、1468年に正通に深く帰依した赤井正光が現在の地に堂宇を建立したのが始まりです。正通が館林を訪れた際に同行していたのが「茂林寺の釜」の話の中心となる守鶴和尚です。

1570年に茂林寺で千人法会が催された際、大勢の来客を賄う湯釜が必要となりました。その時、守鶴が持ち込んできた茶釜は、不思議なことにいくら湯を汲んでも尽きることがありませんでした。守鶴はこの茶釜を福を分け与える「紫金銅分福茶釜」と名付け、この茶釜の湯で喉を潤す者は、開運出世・寿命長久等、八つの功徳に授かると言います。

あるときに守鶴が昼寝をしている様子を別の僧が覗くと、股からタヌキの尾が生えていて、正体がばれてしまいました。不思議な茶釜も狸の術によるものだったのです。

正体を知られた守鶴は寺を去ることを決意し、最後の別れの日、守鶴は幻術により屋島の戦いや釈迦の入滅を人々に見せたといいます。

本堂内の一室にはこの時の茶釜が保存されています。

 

分福茶釜は江戸時代の昔話です。昔話には様々な動物が登場しますが、「カチカチ山」を例外としてタヌキは大抵善人として扱われています。

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タヌキは「他を抜く」として縁起物とされ、信楽焼のタヌキの置物は強運の象徴とされています。

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御朱印は本堂横の受付で頂けます。午後4時で閉まってしまうのでお早めにお越しください。

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優しい書体の御朱印を頂きました。

 

山門と本堂に関してはこれまで見てきた多くの神社仏閣の中で最も印象的でした。北関東のそれほど目立たない田舎町にこれだけ見事な建築物があったことに驚かされました。

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