酒と車と御朱印の日々

心願成就へ向け飲んで走ってひたすら祈る!信じる者は救われる!

〖御朱印〗神田明神では伝統的製法の甘酒を楽しめる

今回はお茶の水の神田明神として知られる神田神社の御朱印をご紹介します。

1月4日はサラリーマンで埋め尽くされる神田明神

商売繁盛の神様として知られる神田明神ですが、毎年1月4日の仕事始めの日には周辺の経営者やサラリーマンが初詣に訪れて1年の商売繁盛を祈る場所であり、境内は早朝からスーツ姿のサラリーマンで埋め尽くされます。

私も岩本町の会社に勤務していた時は始業式の後は神田明神にお参りすることから1年がスタートしましたが、お参りを終えるまで毎年1時間半くらい並んだ記憶があります。どうやらこの日1日だけで10万人近い人々が集まるそうです。

また氏子地域に本拠地があるAKB48のメンバーが成人式を行う神社としても知られています。

神田明神の由緒

神田明神は730年に伊勢神宮の御田(神田)があった現在の千代田区大手町に創建されて神田ノ宮と称したことが起源となっています。

1600年の9月15日の神田祭の日に関ケ原の戦いが行われ、縁起の良い祭礼として徳川家康から今後絶やすことなく行うよう命じられます。江戸幕府が開かれると創建の地である大手町から江戸城の表鬼門守護の場にあたる現在の地に遷されました。

昭和50年には明治天皇により定められた准勅祭社の流れを汲む東京十社の一つに選定されています。

甘酒が名物である神田明神の参道

本郷通り

広々とした本郷通り。仕事始めの日はは車道まで人が溢る。仕事始めの際は車道まで人が溢れます。

大鳥居

神田明神の大鳥居。鳥居の奥には隋神門が見える。向かって左手に明神甘酒の看板。

天野家

明神甘酒で知られる神田明神参道脇の天野屋参道脇には明神甘酒で知られる天野屋があります。

米と糀だけの伝統的製法で作られた甘酒。白い紙コップにたっぷりと入っている。米と糀だけの伝統的製法で作られた甘酒です。

境内社がズラリと並ぶ神田明神の境内

境内案内図

神田明神の境内案内図隋神門や御神殿の姿はよく知られていますが、境内社がこれだけズラリと並んでいるとは思いませんでした。

隋神門

朱色が美しい浅草寺隋神門。イベント用の提灯で飾られている。関東大震災で焼失していましたが、松下幸之助氏の寄進により昭和50年に再建されました。松下氏が寄進したのは浅草寺の雷門だけではなかったのですね。

社殿

鉄骨鉄筋コンクリート、総朱漆塗の神田明神の社殿。平日という事もあって閑散としている。神田明神のかつての社殿は関東大震災で焼失しましたが、昭和9年に当時としては画期的な鉄骨鉄筋コンクリート、総朱漆塗の社殿が再建されました。この社殿は東京大空襲による火災にも耐え抜き、国の登録有形文化財に指定されています。

境内案内図⑨だいこく様尊像

2俵の米俵の上に腰を下ろした神田明神のだいこく様尊像石造りでは日本一の大きさです。

境内案内図⑩えびす様尊像

イルカやタイやトビウオといった海の仲間に守られた神田明神のえびす様尊像イルカやタイやトビウオといった海の仲間に守られて大海原をわたるえびす様を表現しています。

「朝敵」である平将門も祀られている

神田明神ではだいこく様と呼ばれる大己貴命(おおなむちのみこと)、えびす様と呼ばれる少彦名命(すくなひこなのみこと)に加えて本来なら朝敵であるはずの平将門を祀っています。

神田明神が出した首塚の案内天慶の乱で殺された将門の首は平安京の都大路の獄門台で晒されますが、三日後に東方に飛び去り神田明神の周辺に落ちたといいます。村人が首塚を築いて埋葬しますが、その後も天変地異が頻発したため、1309年に傍らの神田明神に将門の霊を祀ったところようやく鎮まったといいます。

神田明神をお参りする人は成田山は避けた方がいい?

大手町の平将門の首塚。防護用のカバーで覆われ、清掃が行き届いた塚には多くの花が供えられている。村人が塚を築いて埋葬した平将門の首塚は現在も大手町の中心部に残されています。

大型再開発が続く中に残された首塚。塚をカバーするための工事も行われている。神田明神の移転後も首塚は元の地に残りましたが、この首塚を粗末にすると祟りがあるという伝説があります。周辺で大型再開発が進む中で、この一角だけ取り残されたようになっていました。

尚、将門の乱の際に乱の鎮定祈願で創建されたのが成田山新勝寺です。神田明神で将門の荒ぶる魂に願い事をしようと思う人は成田山にお参りすることは避けた方がいいかもしれません。

神田明神には多くの境内社が祀られている

境内案内図⑬魚河岸水神社

神田明神の境内社の魚河岸水神社日本橋に魚市場があった時代に徳川家の武運長久と大漁安全を祈願するために祀られました。

境内案内図⑭小舟町八雲神社

江戸城内吹上御苑から遷されてきた神田明神の境内社の小舟町八雲神社江戸城内吹上御苑から遷されてきました。

境内案内図⑮大伝馬町八雲神社

江戸時代以前から祀られていた神田明神の境内社の大伝馬町八雲神社江戸時代以前から祀られていたといいます。

境内案内図㉟力石

若者たちが力試しに用いた神田明神の力石若者たちが力試しに用いたと記録されています。

境内案内図⑯江戸神社

江戸最古の地主神である神田明神の境内社の江戸神社702年に創建された江戸最古の地主神です。

境内案内図⑰浦安稲荷神社

神田明神の境内社の浦安稲荷神社

境内案内図⑲三宿稲荷神社・金刀比羅神社

神田明神の境内社の三宿稲荷神社・金刀比羅神社

境内案内図⑳末廣稲荷神社

神田明神の境内社の末廣稲荷神社

境内案内図㉔合祀殿

7体の神様を合祀した合祀殿「みちひらき」の神である猿田彦大神を始めとする7体の神様を合祀しています。

神馬

工事中で不在だった神馬の明本来なら境内の横で神馬の明(あかり)が飼育されているのですが、境内が工事中のためなのか不在でした。

御朱印

御朱印は案内図③の鳳凰殿で頂けます。

神田明神のオーソドックスな御朱印実にオーソドックスな御朱印を頂きました。

◆粗末にすると祟られる「将門の首塚」の記事

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◆神田明神よりも古い浅草寺の記事

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◆東京十社の亀戸天神社の記事

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◆東京十社の赤坂氷川神社の記事

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