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〖御朱印〗神田明神は平将門を郷土の勇士として大切に祀っている

今回はお茶の水の神田明神として知られる神田神社の御朱印をご紹介します。

商売繁盛の神様として知られる神田明神ですが、毎年1月4日の仕事始めの日には周辺の経営者やサラリーマンが初詣に訪れて1年の商売繁盛を祈る場所であり、境内は早朝からスーツ姿のサラリーマンで埋め尽くされます。

私も岩本町の会社に勤務していた時は始業式の後は神田明神にお参りすることから1年がスタートしましたが、お参りを終えるまで毎年1時間半くらい並んだ記憶があります。どうやらこの日1日だけで10万人近い人々が集まるそうです。

 

神田明神が面する本郷通りは仕事始めの際は車道まで人が溢れます。

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神田明神の大鳥居です。

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参道脇には明神甘酒で知られる天野屋があります。

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米と糀だけの伝統的製法で作られた甘酒です。

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隋神門です。関東大震災で焼失していましたが、松下幸之助氏の寄進により昭和50年に再建されました。松下氏が寄進したのは浅草寺の雷門だけではなかったのですね。

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神田明神の境内案内図です。隋神門や御神殿の姿はよく知られていますが、境内社がこれだけズラリと並んでいるとは思いませんでした。

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御神殿です。

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神田明神は730年に伊勢神宮の御田(神田)があった現在の千代田区大手町に創建されて神田ノ宮と称したことが起源となっています。だいこく様と呼ばれる大己貴命(おおなむちのみこと)、えびす様と呼ばれる少彦名命(すくなひこなのみこと)に加えて本来なら朝敵であるはずの平将門を祀っています。

 

天慶の乱で殺された将門の首は平安京の都大路の獄門台で晒されますが、三日後に東方に飛び去り神田明神の周辺に落ちたといいます。村人が塚を築いて埋葬した平将門の首塚は現在も大手町の中心部に残されています。

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周辺で大型再開発が進む中で、この一角だけ取り残されたようになっていました。

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首塚を築いて以降も天変地異が頻発したため1309年に傍らの神田明神に将門の霊を祀ったところ、ようやく鎮まったといいます。

 

1600年の9月15日の神田祭の日に関ケ原の戦いが行われ、縁起の良い祭礼として徳川家康から今後絶やすことなく行うよう命じられます。江戸幕府が開かれると創建の地である大手町から江戸城の表鬼門守護の場にあたる現在の地に遷されました。

 

神田明神の移転後も首塚は元の地に残りましたが、この首塚を粗末にすると祟りがあるという伝説があります。関東大震災後に大蔵省の仮庁舎を建てようとすれば大蔵大臣を始めとして14人が相次いで亡くなり、1940年には大蔵省の庁舎が落雷による火災で全焼しました。戦後GHQ用駐車場のために整地しているとブルドーザーがひっくり返り作業員が亡くなりました。ブレイク前の爆笑問題の太田光が番組企画で首塚にドロップキックをしたところ、その後しばらく全く仕事がなかったそうです。そのため現在でも手が出せない状態で残されています。

 

関東大震災で社殿が焼失しましたが、昭和9年に当時としては画期的な鉄骨鉄筋コンクリート、総朱漆塗の社殿が再建されました。この社殿は東京大空襲による火災にも耐え抜き、国の登録有形文化財に指定されています。

 

境内案内図⑨のだいこく様尊像です。石造りとしては日本一の大きさです。

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境内案内図⑩のえびす様尊像です。イルカやタイやトビウオといった海の仲間に守られて大海原をわたるえびす様を表現しています。

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神田明神の御神殿の周囲には多くの境内社が祀られています。

境内案内図⑬の魚河岸水神社です。日本橋に魚市場があった時代に徳川家の武運長久と大漁安全を祈願するために祀られました。

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境内案内図⑭の小舟町八雲神社です。江戸城内吹上御苑から遷されました。

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境内案内図⑮の大伝馬町八雲神社です。江戸時代以前から祀られていたといわれています。

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境内案内図㉟の力石です。若者たちが力試しに用いたと記録されています。

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境内案内図⑯の江戸神社です。702年に創建された江戸最古の地主神です。

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境内案内図⑰の浦安稲荷神社です。

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境内案内図⑲の三宿稲荷神社・金刀比羅神社です。

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境内案内図⑳の末廣稲荷神社です。

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境内案内図㉔の合祀殿です。「みちひらき」の神である猿田彦大神を始めとする7体の神様を合祀しました。

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本来なら境内の横で神馬の明(あかり)が飼育されているのですが、境内が工事中のためなのか不在でした。

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御朱印は案内図③の鳳凰殿で頂けます。

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実にオーソドックスな御朱印を頂きました。

 

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